ものぐさワーママの3人育児挑戦記

子どもを育てる環境づくりを頑張ります

【川崎病】長男闘病 ~川崎病とは/長男の発症事例(急性期・治療)~

我が家の長男が、昨年末から川崎病を発病し、年明けから入院していました。

 

その時、不安で不安で仕方なく、ネットで病気を検索したり、闘病ブログを見せていただきました。

自分の子が同じ経過を辿るかは別として、良くなった経過や治療の経過を見て“どの辺りを注意して観察するべきか”など参考にさせていただき、ついに先日退院することができました。

 

私のこのつたないブログでも、誰かの目に留まり、なんかの力に慣れたら…と思い、子どもの闘病を書きます。

 

2019/1/20からの記事を2019/07/08にリライトしています

川崎病とは

日本では年間約1万5千人の子どもが発症している病気で、日本人の“川崎富作博士”という方が見つけた病気なので『川崎病』と世界的に呼ばれている病気です。一時は“小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群”と呼ばれていたこともあります。

まだ原因ははっきりしていませんが、全身の血管に炎症が起こる病気で特に冠動脈を好物とする病気と言われています。適切な治療により元の日常生活を送ることが可能になります。心臓へ後遺症が残ることもあるので注意が必要です。

今のところ人から人へ感染したり、遺伝する病気とは考えられていません。


急な発熱から始まることが多いですが、他の症状も数日以内に出そろってきます。

おもな症状は

⚫︎5日以上続く高熱

⚫︎唇や舌が赤くなる

⚫︎両方の白目の充血

⚫︎いろいろな形の発疹

⚫︎手足が赤く腫れる

⚫︎首のリンパ節が腫れる

このうち5つ以上、または4つに加えて冠動脈病変が確認された場合に『川崎病』と診断されます。

不全型といって上記条件に満たない場合で診断される場合もあります。

我が家の長男は、この不全型の状態で診断名を告げられ、その後症状がいくつか出てきました。

川崎病の経過

急性期 ~発病から約10日目~
多くの主要症状が現れる時期です。この時期に全身の炎症を抑える治療をすることが大切です。


回復期 ~発病約10日目~1ヵ月後~
熱が下がり、他の主要症状もおさまってきます。
 
遠隔期 ~その後(1ヵ月~)~
その後の時期をいいます。この時期の経過は急性期の合併症の程度で変わってきます。

合併症

川崎病を発病すると全身の血管に炎症が起こるので、様々な臓器に合併症が見られます。特に長男が入院時に医師から心配されたのは“冠動脈瘤”といって心臓の冠動脈の一部にコブができてしまうことがあります。他の合併症は適切な治療で効果が表れれば重症になることはほとんどないそうです。

ごくごく稀に重症合併症が起こることがあるので知っておくことは必要だと思います。

長男の発症事例

急性期

今思うと異変は昨年の12/29の晩

いつも通りに寝かしつけ、旦那と話していると長男がグズグズ起きてきました。もう一度隣で横になって寝かしつけるとすぐにスッと寝て行きました。ただ、離れようとすると敏感に起きていました。その時は何も考えておらず、仕方ないので添い寝で私も一緒に寝ました。もしかしたらこの時から熱があったのかもしれません。

12/30(1日目) インフルエンザを疑うも陰性

朝は割と機嫌よく起きました。寝室からリビングへの移動時に抱っこすると熱感を感じたので熱を測ると38度を超えていました。

寝かせていると次第にグッタリしてきて、トイレに行く時に身体を起こすと首を痛がるようになりました。

素人考えで「インフルエンザ症状と、リンパが腫れているのかな」と思いました。「今受診してもインフルエンザの検査では反応しないな」と思い、夜まで様子を見ることに。

元気がないもののグズッたりすることもなく寝ていました。今思えば、ぐずる元気さえなかったんだと思いますが…その間食欲はほとんどなく、食べても少し食べて寝る、という状態でした。水分はしっかりと取れていました。

夜さらにグッタリとし首をかなり痛がり、熱も40度近くあったため救急外来へ連れて行きました。インフルエンザは陰性。風邪薬をもらって帰宅してきました。 

12/31(2日目) 様子見の1日

1日中寝ていました。身体を動かすと首を痛がり、最小限トイレには起きるけど、それでも泣いて痛がっていました。

食事を全く取らず、水分で生きているような印象でした。ゼリー食も準備しましたが「いらない」と言われ、見ているこちらが辛くなるような状態でした。それでも薬が効くのを信じて、一口弱食べては薬を飲んで寝て過ごす1日でした。

常に40度近く熱があり、処方された頓服も全く効かず、よく見ると左首のリンパが拳1つ分腫れていました。

「おたふくかなぁ…」なんて思い、全く改善の兆しが見えずに食事が取れない事にも不安を感じ、翌日になったら保健センターに受診に行こうと思いながら寝ました。

1/1(3日目) 入院決定と川崎病の診断

朝一で保健センターに連れて行くと、リンパ節炎か川崎病の疑いがあるとし、午後小児を見てくれる市民病院を紹介されて帰宅。

その間も熱は39度を超えていて、昨日と変わらずグッタリして食事も摂れていませんでした。 

午後、旦那と長男で市民病院の小児科で受診。

私の予想では、診断はちょっとひどいリンパ節炎。「食事が取れてないからとりあえず点滴して帰ってくるだろうなぁ…」と思っていました。

そもそもこの時点で『川崎病』が何で、川崎病の所見なんかも知らずに、「なんか怖い膠原病みたいなものだからうちの子は違う」と勝手に決めつけて調べもしていなかったのです。

 

旦那から「すぐ入院になったから、入院出来るグッズを持ってきて」と連絡が入りました。「川崎病の疑いがあるって」と。

 

この時点で長男に見られた異変は

⚫︎高熱3日目

⚫︎首の腫れ

だけでした。

 

主治医曰く、ちょっと大きな子がなると、症状の出揃い方が不規則なんです。とのことでした。長男は5歳で、確かに川崎病好発年齢(乳児~4歳と言われています)は過ぎていますが、まだ主要症状には2つしか当てはまらず、信じられない気持ちが大きかったです。

もう少し症状が出揃うか、まずは別の菌なんかがいないか抗生剤を投与しつつ様子を見る事に。

 

長女を実家に預けると大急ぎで買い物と準備をして入院グッズを届けると、既に栄養剤の点滴を打たれ力なく横たわる長男。トイレにはいけるけど首の痛みがひどく、悲しそうにオムツの承諾をする長男の顔が未だに忘れられません。

 

夕方回診直前にぐずり、目が赤くなりました。回診では「これが症状の1つ、白目の充血」と言われ、熱は未だ39度台のまま。

 

そして心エコー、首の腫れのエコーを確認してもらいました。

心臓の冠動脈に異常はありませんでしたが、首のエコーをとると、リンパの腫れ方が通常のリンパ節炎とは違う腫れ方で、川崎病の特徴的な腫れ方だと言われました。リンパが炎症を起こして膿が溜まる時は、1つのリンパが大きく腫れるが、川崎病の場合たくさんのリンパが同時に腫れるといって、黒く丸くなったたくさんのリンパの映像がうつされました。

 

主治医は「川崎病だった場合、川崎病と確定した場合、いち早く熱を下げる必要がある時間との勝負の病気なので、先にご両親への説明と治療の承諾をお願いします。相談も今のうちにしておいてください。」といい“ガンマグロブリン大量投与”の説明をし、承諾書を渡されました。

「治療では免疫グロブリン製剤という、血液製剤を使います。輸血と似ていて、今現在発見されている病気の成分などは除去されていますが、未発見のものが将来的に身体に異変をきたす可能性は否定できません。」というような事から細かい説明を受けました。正直この説明で「じゃあお願いします。」と即決できるような内容ではなかったともいます。いろいろな副作用も聞きました。

しかし、現在どこに行ってもまずはこのような治療をするのでしょう。ネットや、ネット上に乗ってる文献を見ても免疫グロブリンでの治療が最初に出てきます。

将来の事はわかりませんが、今の冠動脈のコブに対するリスクの軽減にはこの治療しか選択肢がないのです。

私達夫婦は医師に委ねるしかなく、不安はありましたが子どもの事を考えた上で承諾しました。

1/2(4日目) 診断確定と治療開始

晩は旦那が付き添ってくれたので、朝から旦那と交代に病室に入りました。

f:id:natsu16family:20190122221342j:image

 

リンパの腫れていた所が真っ赤にくっきり色が付いており驚きました。見にくくてすみません。暗くてか、旦那も気付かないうちに真っ赤になっていたようです。

検温に来たナースさんに話すと、すぐにドクターを呼んでくださいましたが、“炎症物質が溜まって赤くなっているだけ”でコレがどうこう、ということはないようで一安心でした。

 しかし、ドクターは首ではなく、身体の異常に気づきます。

ちょっとだけ出ていた発疹。腿の内側に2、3カ所だけ。

私ではわからない程度の指先の浮腫み。

 

昼ごろには腿の内側の発疹はなくなり、代わりにお腹に2、3カ所のテンテン。

 

私は「こんな小さな発心?指、浮腫んでる???」と思うような小さな異変でしたが、ドクターからすると、主要症状の発疹と指先の腫れだったようです。

 

主治医が夕方の回診で来た時に「川崎病の治療を始めましょう」と言われました。

発熱から4日目の事でした。

主治医は、「5歳超えてくると出方がマチマチなので判断しづらいものですが、抗生剤二種打っても解熱もしない。症状がチラホラ出てきて、リンパの腫れ方にも特徴がある。8日目くらいまでに解熱しないと、心臓の冠動脈にコブが出来るリスクが高まります。1度目の大量投与で効かない場合もあるので、1度目はこのタイミングで始めたいと思っています。」と言われました。

診断名決定『川崎病』

この時点での症状は

⚫︎高熱4日目

⚫︎首のリンパ節が腫れる

⚫︎両方の白目の充血

⚫︎いろいろな形の発疹

⚫︎手足が赤く腫れる

と、5つ出そろいました。(熱は4日目ですが)

 

川崎病の治療開始

1度目の免疫グロブリン大量投与の治療を開始しました。

長男入院先では、なのか、全国的に使用する薬剤かどうかは不明ですが、長男は目分量350ml程度無色透明の液体が入った小瓶を点滴と一緒体内に大量投与しました。

およそ2時間で1本なくなり、1度の大量投与で15本連続で投与します。

 

主治医の話では、「この点滴が終わる頃、約24時間後には熱も下がり、諸症状も全て消えていると思います。」とのことで、その晩は2時間おきに点滴に起こされながら長男の回復を待ちました。

 

 この日も口にできたものはリンゴジュース1口。未だに首を動かす事も出来ず、乾いた口を湿らせているだけのようでした。

1/3(5日目) 様子見

朝、首の腫れは少し薄くなった気がするものの、痛みは引かず、朝食にも興味を出さず、首が痛くて起き上がれない状態も変わらず。

熱も38.5度で、本当に回復に向かっているのか不安でした。

 

その日も1日、晩まで続く免疫グロブリン投与に期待を込めるものの、ほとんど改善の兆しが見えないまま夕方を迎えることに。

ただ、午前中少し起きている時間が伸び、おやつのゼリーを1口無理やり口に入れられ食べて仮面ライダーの雑誌を寝転んだまま険しい顔で眺めていました。

 

回診のドクターが診察をするが熱は38.4度。「諸症状も含め、あまり良くなっていないので、重症川崎病です」と言う事を言われました。

すごくショックで、インターネットで調べていた中で見つけた、“1度目の免疫グロブリン大量投与で効果があらわれない場合は冠動脈瘤のリスクが高まる”と言うのを思い出して、長男に対して申し訳ない気持ちと、川崎病じゃないのかも知れないとか、いろんな気持ちが入り乱れて不安でした。

 

ドクターは続けて、「治療のマニュアルのようなものがあり、とにかくこの1度目の治療が終了後、治療方法を再検討していきます。主治医が決定する事なのでわかりませんが、2度目の投与、ステロイドの投与、もしくは専門病院への紹介、という形で進んでいくかと思います。」と伝えられ、とても落ち込んだのを覚えています。

 

長男はその日も午後はぐったり、首を一切動かす事なく、良くなりたい気持ちからか、薬と飲み物だけは何とか口にしてくれますが、夕食はいつもよく食べる豆なんかを口に運んでも飲み込めず口から出てきてしまう。

唇はガサガサに荒れ、切れ、皮がめくれ、親から見ると可哀想でたまらない状態で横たわっていました。

一応持ってきた遊び道具なんかも何1つ遊ぶ事もなく、何とか元気になって欲しいと、喜んで欲しいと思い、私1人が長男の好きな恐竜やボールを折り紙でせっせと折っては、一瞬だけ、喜ぶ顔を見せるだけで、悲しい思いが続きました。

 

真夜中に1度目の治療が終了しましたが、やはり熱は高いようで、明日の朝の血液検査に期待も持てないまま一晩を過ごしました。

 

1/4 (6日目) 治療継続と追加

朝1番の早い時間、熱は変わらず38度台、まだ首の腫れを痛がる中、血液検査に呼ばれ首の痛みで大泣きする長男を抱き抱え、点滴カートを運びました。

ベッドに寝かされると、チックンは嫌!と泣き訴えるものの、痛くて動けないのか、ほぼ抵抗することなく注射を打たれていました。

注射から戻ると今度はエコー。「リンパの腫れも大きく変わらず、心臓の冠動脈は今のところ問題なし。」

少し腹部の痛みの訴えがあったので、「腎臓にも副作用なんかで異常が出ることがある」と言い、見てくださいましたが今のところ異常なし。

 

血液検査の結果から

「大きな改善は見られず、炎症反応も入院時よりは下がっているもののまだまだ高いので、続けて治療が必要。2度目のガンマグロブリン大量投与とステロイド投与を同時にしていきます。マニュアルどおりに治療していくが、同時にステロイド投与していくことで、確実に熱を炎症を抑えていきたい。」との事でした。

炎症反応が高いままだと、発熱から8日〜10日ごろに心臓の冠動脈に異常をきたす事があるそうで、「とにかくそれまでにあらゆる手を打ちたいので、今晩からすぐに大量投与をしていきましょう。」と言われました。

 

もはや、私たち家族では主治医を信じて治療を任せる以外に、何が正しくて、どの治療が最適かなんてものはわからず、ついていくしかありませんでした。

 

諸症状は、発疹はほとんどわからず、指先の浮腫みもなく、うさぎ目も改善。

未だ残る症状は高熱、唇がひどく荒れ、舌がザラザラでした。

 

この日もジュースは時々欲しがりますが、食欲は全くなく横たわっていました。

ただ、おやつに出てきたカステラを年明けから初めて「食べたい」といって一口食べ、私は飛び上がりそうなぐらい嬉しかったのを覚えています。

 

晩からまたグロブリン大量投与の開始、ステロイド投与を随時看護師さんがしてくださっていました。今度こそ快方に向かって欲しい、願うしか親には何も出来ませんでした。

1/5(7日目)  ガンマグロブリン・ステロイド投与中

朝1の検温で年明けから初めて37.8℃、依然高いものの37度台の体温を見ることが出来ました。

首はまだほんのり赤く、まだ触られるのも動かすのも嫌がります。

唇もまだ赤く荒れ、皮がベロベロなのもかわりません。

 

この日の朝はリンゴを食べ、おやつに出てきたカステラを半分以上食べ「快方に向かっている」と思いました。

しかしその後また38度台に戻り、食べれば元気になるかなって想いと、熱が下がらない不安とで何かちょっとした変化がある度に一喜一憂していました。

1/6(8日目)  ガンマグロブリン終了と回復の兆し

真夜中にガンマグロブリンの投与は終わりました。

主治医が言っていた熱発から8日目を迎えました。「解熱しないと心臓への影響が心配される」と言っていました。

この日の朝、熱は36.8℃でした。朝はものすごく嬉しかったことを覚えています^ ^

首の腫れは痛みが落ち着いたのか、首を自分で反対に向けたりと、動きが出てきました。 

朝ごはんでふりかけご飯を出てきた量の3割程食べました。

お昼と夜は食べませんでしたが、昼間は一時身体を起こしオヤツの時間はカステラとヨーグルトをほぼ完食しました。

 

午前中、多分長男が鼻をほじったので鼻血が出ました。

アスピリンという薬を治療開始からずっと服用していたせいか出血が止まらず、30分以上大量に出ていて、タオルからベッドから血だらけになって自分の血の気が引いたのを覚えています。

薬で血が止まりにくくなっていることもあり、大量出血となりましたが看護師さんの協力で何とか止まり、一旦アスピリンの服用も中止となりました。

 

午前中はよくなっているようにしか見えなかったのに熱は徐々に38度台まで上がり、“炎症が治まっているのか、心臓への影響はないのか、治療は何がゴールなのか”不安が募ります。

この日の血液検査後「結果はCRPが6。まだ反応はありますが、確実に数値も下がっています」と主治医。

先程あげた不安を話したところ、「最終目標はもちろん完治の上、心臓への影響がないことだけれども、今はまず他のウイルスに十分注意し、熱を37.5℃以下で安定させることです。まだ熱が不安定ですが、少しずつ良くなっていることは間違いないので、とにかく薬の服用も戻し治療を続けましょう」と。

「ただアスピリンはインフルエンザになってしまうと服用出来ないので、細心の注意を払ってください。」と言われて、この日から個室へ移動が決まりました。

心配していた心臓のエコーもこの日は異常なし。

治療が終了し、首の痛みは取れたものの、熱が上がったり下がったり、毎回ヒヤヒヤしながら検温していました。

だいたい37度から38度台前半を行き来していました。目指す37.5℃以下に落ち着く日が来るのだろうかと一喜一憂しながら日々をすごしました。

1/7(9日目) 回復期へ突入?

やはり朝は割と調子が良いようで、熱は36.8。

身体を起こしたりする事も、数分ですがあります。

旦那が「ご飯もたくさん食べれたら早く元気になれるよ」とハッパをかけたせいか、朝ごはんは8割ほど食べられました

午前中は身体を起こし、折り紙を折ったりDVDを見たりできるようになりました。

昼からは少し疲れるのか寝ている時間が多かったです。

この日は37.5度が最高で「良くなったんだな。」という思いと、目標を超していかないかとまだ焦りの気持ちもありました。

 

なんとこの日、私と長女が熱発…インフルエンザ陽性の為、お見舞い・付き添いに行けなくなり、実母と旦那で頑張ってもらうことになりました。

一旦落ち着いている長男の病状に少し安心して気が緩んだのでしょうか…

長男にうつってないことだけを祈っていました。

 

www.natsu16.com